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緋色のブログの掲示板


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真如苑信者の語る誤情報について

1:管理人@緋色 :

2010/09/22 (Wed) 09:36:45

自分が聞いたり、読んだりしたことで、「そんな訳ないじゃん!。」何そんなの信じてるのよ?
ということを書いて行くスレッドです。
2:まさ :

2010/09/22 (Wed) 20:41:27

「真如苑の学校では文科省から僧侶の資格をもらえる」
「文科省から僧侶の資格をもらう事は無いが、卒校者の名前が文科省に登録される」

嘘です。僧侶の資格は法人内部の自主判断であり文科省は一切関知しません。

認可された宗教法人であるという話と、その宗教法人が作った学校だから「文科省のお墨付きみたいなもんだ」という所感が伝言ゲームの中で組み合わさってこのようなデマが生まれているのが実状です。
勧誘時に権威付けの効果があるので事務局は黙認していますが、外部からのツッコミに対しては「一部の未熟な信者が勝手に勘違いしただけ」という答えを準備してます。放置しておきながら発言した信者の個人責任にしてしまうのですよね。
信者の皆さんは伝言ゲームで変質した情報を堂々と言い放ち、突っ込まれたら苑から切り捨てられてます。
3:管理人@緋色 :

2010/09/22 (Wed) 20:49:44

「伝統的な正統な仏教」「ちゃんとしたお寺」と言われたことがあります。
創業が1936年2月8日、宗教団体の認証が1953年の団体なのに。
100歩譲って真言宗系だから、としますが、真言宗の一般的な定義とは離れすぎです。
もともとまこと教団だったはずですし、結局は初期は真言宗ベースで、結果として創業者の伊藤氏解釈の大涅槃経ベースの密教だか仏教だか人によって言うことの違う団体になったわけで、どこが伝統的な正統な仏教なんだかさっぱりわかりません。
4:まさ :

2010/09/22 (Wed) 21:26:22

根拠の提示を求める事が必要ですね。相手が論理的思考の元に対話出来る相手ならばという前提付きですけど。

「伝統的」の根拠は、真言宗の一派「醍醐寺」で修行したとか、認められたとか、大阿闍梨の服が見つかったとかの逸話を盾にしてくるのでしょうけど、盲信している人でなければ「だからナニ?全然関係ないじゃん」という結論になるのです。
非信者をキチンと納得させられる根拠が出せない信者は、思考停止して逆ギレするか論理的思考を取り戻そうとするかの2択になるでしょう。
5:名無しですみません。 :

2010/10/01 (Fri) 22:29:02

>根拠の提示を求める事が必要ですね。

う~~ん

醍醐寺で真乗氏が伝法灌頂をうけてますし、
真言宗醍醐派・立川不動尊教会 って元は言ってたんだから
真澄寺は、一応は元は伝統仏教真言宗醍醐派の「お寺」には違いがないでしょう。
ここにイチャモンつけると、逆に信徒に足をすくわれそう。

でも、なんか、信徒は「伝法灌頂」をさもすごいことのように言いますが、
真言宗のそこらのお寺のどこの住職さんは普通みんな伝法灌頂うけておられますよね。
                ここ大事↑(おばさん信徒は知らないかも知れない)

つまり、伊藤真乗氏は 真言宗醍醐派の末寺の住職していいよって、派内免許をもらった感じでしょうか。

ところが、実際やっていたのは真言宗から 完全にズレたおっしゃるような霊感占いシステム
これじゃ、本部は怒りますわ。

これは、醍醐派の末寺の暴走と新興宗教化ってことです。
そのため本山と疎遠になってしまう。醍醐派汚すから 末寺やめろってことですね。

仕方がないので、真言宗醍醐派とは縁切りで、
ここで昭和16年新興宗教「まこと教団」設立、順調に金儲けに走り出すことになります。
で、やはり新興宗教、どこでも起る内部のゴタゴタリンチ事件。真乗氏逮捕!!、

でも時代が真乗氏に味方していて、GHQの指導で戦前宗教法人が認可性だったのが
戦後簡単な届出性に変わり
当時は要件と書類をそろえれば簡単になんでも宗教法人が認証されるのを利用し、
そのゴタゴタを消すため「まこと教団」をつぶし看板だけ変えて「真如苑」の誕生です。

暴力事件で起訴され有罪になった代表の教団が、今なら公安の監視がついちゃうんでしょうが
当時は事件の1年後に認証されるなんて、宗教法人の申請書類素通し状態の時代であったことがよく分ります。
ちなみに創価もこの頃宗教法人の認証を受けてます。やっぱり同じような物。

問題はその後の金の力
醍醐寺は金に窮していて、昭和14年に焼失した 醍醐発祥の堂宇である上醍醐准胝観音堂の再建が
いつまでたっても出来ない状態でした。

ここに目をつけた真乗氏、昭和41年に ポ~~ンと金出して昭和43年に、准胝観音堂は真如苑の力で再建。
恩義の押し売りみたいな感じでしょうか。真如は返報性の圧力は得意ですからね。
おかげで、真如苑の金の力は、新興宗教が伝統の醍醐寺で法要までも行えるようにさせてしまった。

その上 もっと恐ろしいのは 醍醐寺の守り神 醍醐寺の開祖理源大師以来の 清瀧(せいりょう)大権現さえも、
昭和45年 醍醐寺は真如苑に勧請(分霊)している。

もう伝統もクソも無しのなんでもあり 宗教的にはこれやられると、やっぱりややこしい、
醍醐派に貢献したってことで最大の謝意なんでしょうか。でも醍醐が命まで捧げちゃったって感じ。
それを良しと思っていない良識ある方々も沢山おられると思いますが・・・。

ちなみに今回の焼失も去年の理源大師千百年遠忌法要の時にすでに、准胝観音堂再建勧募の資金 
真如苑から醍醐寺に渡してありますね。継主が「目録」を広蓋に3通のせてある写真が雑誌「歓喜世界」に載せてあります。

あな、金の力は恐ろしや。有無を言わせない力があるのでしょう。伝統でもなんでも買えてしまう。
でも、伝統だけでは、飯も食えないし、世界遺産と言っても 堂宇も維持できないのではしょうがないですし・・・。
6:管理人@緋色 :

2010/10/04 (Mon) 13:49:26

名無しですみません さん

なるほど、貴重な意見ありがとうございます。
「真澄寺は、一応は元は伝統仏教真言宗醍醐派の「お寺」には違いがないでしょう。
ここにイチャモンつけると、逆に信徒に足をすくわれそう。」
確かにこれはその通りだと思います。
見解の相違ですよね。
確かに寺で手続きを取ってかもしれないがとしてうえで、一派を開いた時期と教理で、だから
伝統というにはどうなのよ?
という方向付けですかね?
7:酔道士 :

2010/10/12 (Tue) 19:14:13

>確かに寺で手続きを取ってかもしれないがとしてうえで、一派を開いた時期と教理で、だから
伝統というにはどうなのよ?

一応、真言宗から出発したわけですよね。ということは、真言宗の新たな解釈と見なせるかどうか?真言宗とは何?ということですか?例えば、阿含宗も同類ということになりますね。
8:管理人@緋色 :

2010/10/13 (Wed) 18:37:57

酔道士さん
レスが遅れてすみません。

もし記載内容が間違っていたらすみません。

以下は私の私見です。

まず、私は宗教の宗派は創始者のキャラ、解釈、経典が各宗派そのものだと思います。
創始者が居なければ成立しませんし、真如苑は伊藤一族というキャラクターがある以上、独立した宗教であると私は思います。
阿含宗も桐山さんがいなければ成立はしないでしょうし、仏陀だって、見方を変えれば原始仏教から仏陀というキャラクター、解釈によって分派した仏陀流の原始仏教とみなせないでしょうか?
まずこれが一つ。

真言宗から出発した、ということで、真言宗とはなんでしょうか?
私なりの認識ですが、真言宗は空海元祖で空海と密教及び大日経をベースにしてシステム化、体系付けられてきたものだと私は考えます。
~派といくつかありますが、解釈の違いはあるが根幹の部分は変わらず肉づけの違いで、大日如来を崇拝し、大日経と金剛頂経を基として、空海ベースの真言密教を理解しようとする行為が真言宗だと認識しています。

さて、真如苑は当初は大日経や真言宗で僧籍は得ましたが、伊藤氏の作った真如苑システムは真言宗のベースとなる前述の内容と比較した場合、一部的に具体的に例とするなら、涅槃経を主とする点、例のおたすけやら、接心や、奉納各種、双童子、悪因縁という解釈で真言宗の他一派や本来から存在するものとは、かけはなれていると私は感じます。
大日経自体、大日如来が解く経典ですので、現時点で大涅槃経を頂くという時点でも(大涅槃経は釈迦の言葉だと思いますので)これは既に真言宗としての骨子は外れているとも考えます。
密教が他仏教より優れている、というのが空海の観点ですので、そこで大涅槃経というのもやはり真言宗と考えるのは違うと考えます。
少なくとも真言宗との関係は深いが、真言宗そのものでは無い。
苑として理解し深めようとしているのは、真言宗の骨子ではなく、伊藤システムですので、伝統系の仏教と関連はあるが、真言宗そのものでは無く、苑としての成立と歴史が伊藤家と共にある以上、「伝統系である。」と断言する根拠は薄いと思います。

「伝統的な真言宗と確かに関りがあり、教祖は僧籍を真言宗で取得している。だが宗派としては開祖一族独自の解釈で宗教活動を行っており、内容は一般的な真言宗とは合致しない。」
が妥当な表現なのだと思いますが如何でしょうか?

余談ですが、真如苑(まこと教団)設立以降も真言宗として活動し大日経金剛頂経を頂き、大日如来を絶対の頂上として仏性を磨くのではなく、内心の境地へ到達する修行を継続しているのであれば、真言宗の一派で伝統的な仏教です。
と言い張れると思います。

もし間違いがあれば、御指摘下さい。
多分穴だらけなので認識間違いもあると思いますので。
9:酔道士 :

2010/10/13 (Wed) 23:56:32

>もし間違いがあれば、指摘下さい

管理人さま
ありがとうございます。間違いがあるかどうかを指摘するなんて、とても私にはできません。

立教時期における当時の国による宗教管理(一宗一派)政策を奇貨として「真言宗」を利用したともいえるかもしれません。と私は思っております。
10:管理人@緋色 :

2010/10/14 (Thu) 09:59:22

酔道士さん

すみません、
>立教時期における当時の国による宗教管理(一宗一派)政策を奇貨として「真言宗」を利用したともいえるかもしれません。と私は思っております。
お時間のある時で結構ですので、もう少し詳しく教えて頂けないでしょうか?
11:酔道士 :

2010/10/14 (Thu) 19:07:53

管理人様

以下の件りが「水ぶくれ真如苑」で述べられています。

>立教当初の教団の活動は、以前からの伊藤の易占に加えて、霊能者となった友司を霊媒として不動明王にお伺いを立てるという形のものであったらしい。

>昭和十二年の末には新たな道場を建設することが決まり、現在の総本部のある土地が入手された。こうして翌十三年の十月には、後に「真澄寺〔しんちょうじ〕」と呼ばれることになる道場が完成し、これを機に、組織も「立照閣」から「真言宗醍醐〔だいご〕派立川不動尊教会」へと改められた。これは、浦野法海〔うらのほうかい〕という真言宗醍醐派の僧侶の指導によるものである。さらに伊藤は、浦野師の指導のもとに、正式な宗教家としての資格を取得することを勧められ、昭和十四年十月に京都の醍醐寺で入門課程の恵印灌頂〔えいんかんじょう〕を授かり、さらに一定の修行の後、昭和十六年三月には、金胎両部伝法灌頂〔こんたいりょうぶでんぽうかんじょう〕を授かった、これによって彼は僧侶としてひとり立ちできたことになり、以来「伊藤真乗」と名乗ることになる。

>戦争中、宗教団体法によって真言宗各派は合同させられ、伊藤の教団も「真言宗醍醐派立川不動尊教会」ではなく「真言宗立川不動尊教会」となっていた。昭和二十年、終戦に伴う改革で合同真言宗は解体されたが、その際、立川不動尊教会は醍醐寺の末寺という関係からも自然に離れ、独立の団体となった。こうして、戦時下に逼塞していた多くの宗教団体と同じく、伊藤の教団も新たな気持ちで再出発の時を迎えたのである。

宗教団体法は真言宗だけに適用されたわけではありません。ただし、靖国神社だけは別格だったと思われます。

>その際、立川不動尊教会は醍醐寺の末寺という関係からも自然に離れ、独立の団体となった。

私は、これが気になるのです。なぜ、「自然に」離れたのか?

真導院の死後(昭和27年7月)まもなく、伊藤真乗は大般涅槃経(だいはつねはんきょう)に出会うわけですが…

ともあれ、もう少し、「宗教団体法」を調べてみます。
12:管理人@緋色 :

2010/10/15 (Fri) 16:53:03

酔道士さん

連日、詳しい内容ありがとうございます。
大変勉強になります。

>その際、立川不動尊教会は醍醐寺の末寺という関係からも自然に離れ、独立の団体となった。
確かにこれって何故なんでしょうか?
その後、改めてまた醍醐寺に交渉をとったことはマイナス的な理由ではない、、、のかなぁ。


緋色でかまいませんよ?。
13:酔道士 :

2010/10/15 (Fri) 21:21:02

緋色さん

本家文科省HPに以下の要約がありました。明治以降の宗教制作がコンパクトにまとめられていました。

第一編 近代教育制度の創始と拡充
第五章 学術・文化
第五節 宗教
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/hpbz198101_2_147.html

>文部省宗教局の所管事項は、教派、宗派、教会、僧侶、教師その他宗教に関すること、寺院、仏堂に関すること、および古社寺保存に関することであった。これからのち、神社を除く全国の宗教団体はすべて文部省宗教局の管轄下にはいることになった。

>宗教界においては、新興教団は終戦の宗教団体法廃止まで行政上、類似宗教と称されていた。

したがって、醍醐寺末寺からの「自然」離脱は、当時の国家による「類似宗教規定」からの離脱のためではないだろうか?

また、
>十年(注:明治)一月、教部省を廃止し、その事務は内務省に移され、内務省には社寺局が新たに設置され、ここで所掌することとなった。しかし教部省は廃止されたが、そのなごりともいうべき教導職の制度がなお存続し、僧尼としての公認資格が教導職試補以上に制限されていた。

とあり、以降、内務省(自治省を経て、現在は総務省)から文部省宗教局は移管されていく課程を経ましたが、苑信徒の口に上る「僧侶の公認資格」云々はここに源流があるような気がしますが、分からない。
14:管理人@緋色 :

2010/10/18 (Mon) 12:37:22

酔道士さん

レスありがとうございます。
離脱理由、、、良くわかりました。
参考になるサイトのご紹介もありがとうございます。

>とあり、以降、内務省(自治省を経て、現在は総務省)から文部省宗教局は移管されてい
>く課程を経ましたが、苑信徒の口に上る「僧侶の公認資格」云々はここに源流があるよう
>な気がしますが、分からない。
この部分ですが、伝言ゲーム的に伝わっているだけではないでしょうか?
僧籍取得方法は宗派毎に定めているようですし、宗教法人法に僧籍の認定方法までは規定
しないでしょうから、国が僧籍認可というのは筋道的にはオカシイと思うのです。
おそらく、信者間で勧誘時や勧誘方法の口上として、
1.真言宗系の寺で僧籍を取った。
2.文部科学省で(宗教法人の)認証を受けた。
が混同した結果だと思っています。
※例えば、事務員に聞いてみると信者の口上とは違う回答をするのではないでしょうか?
でなければ、意識的に誇張して、そのように取れるようにアナウンスしたかどちらかでは
ないでしょうか?。

15:一闡提 :

2010/10/26 (Tue) 21:47:30

最近は言われているのでしょうか。「新興宗教ではない」と。
その意図は、「世で人を騙すことによる金銭目的集団ではない」という意図があるとは思いますが、金銭目的集団です。
新興宗教です。ご利益信仰です。インチキです。
16:酔道士 :

2010/10/28 (Thu) 17:58:07

>カルトと手を組む伝統仏教(一闡提さんスレ)
>「この教えは新興宗教じゃない」という誤情報は今も流れているのでしょうか。
説明に乏しい情報です。

流しています。現に、何気なく聞こえてきたことでしたが、うちの子が母親に「新興宗教」と云ったら、新興宗教じゃないよ、と一言。でも、本人に確信があって云ったかは分からない。そのそうではない理由も何も云わない。それは反苑の立場の私が近くにいたからか?

17:一闡提 :

2010/10/28 (Thu) 18:53:47

反射的に「新興宗教じゃない」という信者もあり、「真如苑で修行すると、文部科学省公認の僧侶の資格が取れる」という信者もいます。
後者が恥ずかしげもなく話されると、インチキを広める効果となります。
18:萩原宏清 :

2012/10/05 (Fri) 02:32:30

高野山真言宗以外は真言宗じゃないの?そうなると、高野山以外の所で修行して自分で宗教始めても、みんな新興宗教じゃねーか?
19:まさ :

2012/10/05 (Fri) 07:16:37

どこで修行しようと、自分で宗教始めた時点でそれは新興宗教ですよね。
誰が始めようと、近現代に始まった宗教は全部新興宗教です。
20:管理人 緋色 :

2012/10/05 (Fri) 14:25:21

萩原宏清さん
このスレの過去の書き込みをもう一度見直してください。

それと
>高野山真言宗以外は真言宗じゃないの?
意味を取りかねています。
高野山真言宗は真言宗ではなく、その他全ての派が真言宗だと言っているのですか?
それだと認識がそもそも間違っていると思われます。

>高野山以外の所で修行して自分で宗教始めても、みんな新興宗教じゃねーか?
はい、その通りです。
まささんに補足するなら、お手元にある辞書で「新興宗教」を調べてください。
「明治以降に成立された宗教団体、新宗教に同じ」に近い書き方をしていると思います。
※ちなみにこれは広辞苑の記載です。

さらに補足するなら、真如苑の公式HPの”真如苑について”を見てみましょう。
「真如苑は、伊藤真乗(いとうしんじょう1906-89)が1936年、宗教専従の道に入り、京都・
醍醐寺にて”出家得度、1938年、東京都立川市に燈檠山・真澄寺(とうけいざん しんちょうじ)
を建立したところに始まる仏教教団”です。」だそうです。
””内を見て下さい。
略史にも「戦後(苑を)建立します。」と書いてあるんですから、やっぱり新興宗教
じゃないですか?



21:酔道士 :

2012/10/14 (Sun) 21:26:08

高野山とか新義とかではなく,単立のものあります。いわゆる総本山を持たないという。例えば,
http://www.hourakuji.net/omoi.html

ちなみに,私の父方のは新義の内,真言宗豊山(ぶざん)派です。
22:母が13年も、です。 :

2013/03/24 (Sun) 00:57:29

みなさん、もっと勉強したほうがいいですね。

大乗経典はお釈迦様の教えではありません。作者不明の偽経なんです。
釈迦の直説として最も信頼がもてるのはパーリー語で書かれたパーリー三蔵、すなわち、南伝仏教の経典です。

私は真如苑を除籍後、日本テーラワーダ仏教協会に入会しましたが、紀伊国屋でもいって仏教コーナーを覗いて
ごらんなさい。スマナサーラ長老の本で溢れていますよ。著作は100冊を超えています。

今まで日本は北伝仏教@一辺倒でしたけど、ネットの時代になって南伝仏教の情報がようやく
身近になってきました。サンガジャパンなど、テーラワーダの雑誌も出ていますので、勉強して
みてください。真如苑の主張はすべて崩れますよ。大乗経典がお釈迦様の教えではないのだから。

また、今年は仏歴2556年ですが、これは南伝の仏歴を採用しているのです。大乗は仏教ではないというのが
南伝の立場ですから。

真如苑信徒ですが、彼らは教団が与える霊位の相承者であって、お坊さんではない。もっといえば
北伝仏教自体がお釈迦様の教えではないわけだから、北伝で得度した僧侶は仏弟子ではないといえるかも
しれないですね。
23:管理人緋色 :

2013/03/24 (Sun) 18:24:01

書き込みありがとうございました。

御説が正しいかどうかはおいておいて、あなたが真如苑を信じていたとして、「この団体のほうが本流で、涅槃教のよりも成立が古い。」と言われて耳に入りますか?
今、信仰されている団体について、私が「あなたの団体の経典や考えた方は正統な考え方では無い、仏教の真の考え方は理趣経に基づくものです。(念のため書きますが、これはわざと書いているので、これが正しいことではありません。)」と書いたら、あなたは受け入れられますか?

何が正しい、本流だ、なんて言うことは信徒には通じませんし、ましてや被害を受けている側からすればあれが正しい、これが正しい、、、というのは苑の信徒が言う「苑は正しい。大涅槃経は素晴らしい経典」と言うこと本質的には何も変わらないのではないでしょうか?
名詞が違うだけで、実際のところ、真偽はともかくロジックは苑の信徒と何も変わらないのです。
高い位置から「もっと勉強したほうがいい。」という書き方についても同様です。

あなたが現在何を信仰しようと否定はしません。
各団体ごとに考え方もあるでしょうから、その論議をすることも私はありませんが、苑の被害を公開、相談する場で他宗教団体の宣伝ともとれる書き込みはご遠慮頂けませんか?

被害を受けている側にとって、大乗仏教がどうのというのは実はどうでもいいんです。
苑のいう事が仏教としてみた場合、オカシイ。
その根拠は●●●だからである。
というのはこのブログにもあちこちに出ています。
しかし、それって実はさして重要ではないのです。
なぜなら、繰り返しますが過度に信仰している人間に、そんな理屈は通じないからです。

以降、同様な書き込みがあった場合、管理人権限で削除します。
状況をみて場合によってはアクセス禁止の措置を取らせていただきます。
あしからず。
24:母が13年も、です。 :

2013/03/25 (Mon) 21:04:34

なるほど。宣伝としてとられてしまいましたか。

ちなみに、私は「信仰」は一切していません。「特定の団体に傾倒している」つもりもありません。
日本テーラワーダ仏教協会はいつ辞めてもいいのですよ。

私が実践しているのは「瞑想」です。これは信仰ではありませんし、団体に所属する必要もありません。
一応、ブッダの教えは仏教と呼ばれていますが、仏教とは一切の信仰も組織も必要としない法則なんですね。

原発事故や東日本大震災も無常の法則からいえば起こるべくして起こったことですし。
何が苦しみの原因なのか、見極める。瞑想でこの世の無常、無我、苦を悟っていく。それが
お釈迦様の教えで「宗教」でも「信仰」でも「所属団体」も関係ないんです。

あなたのおっしゃる通り、信仰に傾倒した人には理屈は通じません。これは私の母のことで
経験していますから。ただ、法的に戦うといっても、どうやって戦うのですか?
宗教法人相手に法律に持ち込んで勝とうとするなら、それなりの主張(被害実例)が必要となります。

私事ですが、法テラスにいって話を聞いてもらうだけが精一杯だと思っています。

25:管理人緋色 :

2013/03/26 (Tue) 21:48:45

私は法的に戦う、などと過去書いたことはありません。

集団で訴訟を起こすなら別ですが、これは難しいし正体が割れるような事は身の危険もあるのでできない。
とは書いています。
それと個人対個人では苑関係で訴訟はすでに起きているそうです。

失礼ながらあなたの所属されている団体については調べましたが、宗教法人の認証を得ていないだけで、海外の記事も読みましたが、宗教団体と捉えられてもしかたない活動内容に思われます。
被害者向けのサイトで、勉強不足だの、なんたら師の本が棚にいっぱいだのは、本当に信徒に理屈が通じないとされる方の物言いには私は思えません。

宗教じゃない、瞑想だ、いつでも辞めれる。

どこかで聞いたような内容です。


繰り返しますが、他団体の宣伝思える書き込みはご遠慮ください。
26:緋色 :

2013/03/27 (Wed) 10:28:48

失礼ながら書かれている内容は、
A社のBという自動車にはねられた人に向かって、
「自動車の起こりは云々、C社の考え方は云々、C社のDという車のスペックは云々。それとあなた方は事故に対して勉強不足だ。」と説明されている状況です。
はねられた人にしてみれば、
この後、どうすれば良いのか?
警察を呼べばいいのか?
保険屋に電話すればいいのか?
Bに乗っていたのは誰なのか?
どうして事故が起きてしまったのか?
事故にあって怪我をしていても大丈夫なのか?
という情報ではないでしょうか?
必要なのはC社やDの情報ではありません。

繰り返しますが、私はあなたがその団体で瞑想なりしたり、その場が素晴らしいと感じておられるのであればそれに対して何も感じません。
止める気も否定する気もありません。
しかし、団体名を出し、一派がどうの、起こりがどうの、、、という話はこの場で必要とされる情報なのでしょうか?
不勉強だ、と指摘する必要があるのでしょうか?
それを知ったところで被害者になんのメリットがあるのですか?
家族信徒が退会するのですか?
苑が仏教ではないというのは誰が見ても明らかです。
南だ北だとしなくても論破できることです。

何度も書いていますが、ご自身の御所属される団体にからめてご自身の論を述べるのであれば、ご自身のブログなり、HPでお願いできませんか?

前の書き込みに追記して書きますが、ブログにも書きましたが、私は法律的に現状、苑そのものになんらかのペナルティを与えることは難しいと考えています。
個人対個人での訴訟であればやりようはあることも弁護士等と話して知っています。
しかし、訴訟を起こすには時間とお金が必要です。
訴訟集団を作り、苑そのものを訴えるにしても同様です。
私個人には長期間の費用と時間をねん出する力はありませんし、それで生活の時間を割かれることはしたくありません。
ましてや、彼らは資金力はとんでもないほど持っています。
新興宗教ですし、新興宗教の信徒はどうしても過剰な信仰を持つ信徒が出やすく、顔ばれした場合、自分の家族への危険が及ぶ可能性を考えると私は直接、現実的な活動をする気はありません。
法的に訴えなくてもある程度の回避、対策ができることもあり、その手段と心の持ちようを私は自身の経験として公開し、特に未成年で信徒親から強制的な信仰を押し付けられている人に向かって、怯えなくても大丈夫、対策はある。。。と訴えることが目的でブログを行っています。

どうぞブログや掲示板の趣旨をご理解頂き、このスレッドの内容にご理解頂ければ幸いです。
今後、書込みはご遠慮ください。

もちろん真如苑に関して有益な情報であれば大歓迎です。
27:行者の子孫 :

2015/06/19 (Fri) 17:09:54

郷里山形で、金剛寺派の僧侶と出会い、爾後、交際が続いております。
この方、生まれつきの足なえなのですが、壮年期に霊能力を得、
近在から相談事をする人たちで、一時は列がなされていました。
父の病気のことで相談に行き、大変お世話になりました。その間、密教の
話しはまったくなく、あるのは人の道だけでした。密教のお坊さんは在家の
人に密教を語ってはいけないのです。説法の出来ない僧侶は、どうやって
檀家さんを集めるのでしょうか。実は醍醐寺の切迫はこの辺にあるようです。
さて、再婚した時に義母が真如苑の信者で勧誘されて、最初は親孝行のつもりで
ついていったのですが、在家のままで密教が学べるという事に気が付き、修行
させてもらっているものです。いってみれば自己の修行のために苑を利用させて
もらっています。
確かに、修行の過程でお助けと称する勧誘がありますが、勧誘が目的ではなく、
教えを伝えていくことが修行だとされています。当然、突然日常とは異なった
ことを話し始める人間に警戒し、耳を貸さなくなるという周囲の変化も織り込み
済みです。苑の中の学校は、教師すなわち僧侶として教えを語ることができる
資格ですから、教えに耳を傾けてくれる信者さんをどれだけ育てたかも重要な
評価点となることはどこの宗教でも同じでしょう(所謂、檀家や氏子が自動的に
ついてきて大して自分の宗教に関して正しい教義を語れない伝統宗教の僧侶
や神主のほうが無害無益なのかもしれません)。
強引な勧誘がこのスレでは問題となっているようですが、苑としても、問題のある
強引な勧誘は戒めています。親しい中や断れない中でいつも教えを聞かされる
ほうもたまったものではないでしょうが、それが縁の切れ目でも一向に良いの
ではないでしょうか。
最近は、苑に参座するより、上醍醐に上って、仏様と向き合う事のほうが多くなっ
てきているようです。関東在住ですし、450米の低い山ですが結構しんどいです。
先日高野山にも上がりましたが、観光地化していてにぎやかなので、お寺も
景気がよさそうでしたが、醍醐寺は花見のシーズンや伍大力様の時以外は、日曜でも
閑散としています。それがすきなんですけど。
伊藤真乗師のことですが、醍醐寺から一宗一派を開く資格である大阿闍梨となって山
を下りたようです。自分は密教のすべてを体得したが(書や口で教えられる教えではなく
実践あるのみと教えられており、かの弘法大師と伝教大師との理趣経にまつわる確執
もここから発生しているわけです)、衆生に語ることができないのでは意味がないと
悩んでいるときに大般涅槃経と出会われ、読み進めるうちに、自分が体得してきたことと
同じことが書いてある、これは顕教の経典だから語っていくことができると、狂気して
その漢文の書下しを行ったそうです。密教寺院と真如苑の教えが違うといわれる方々、
密教の教えはご存じでそのようにおっしゃっているのでしょうか。
余談ですが、浅草の浅草寺は、戦後天台宗から独立した独立教壇で、このスレでの
定義では「新興宗教」という事になります。彼らも「新宗教」と自ら呼んでいますが。
真如苑教徒の強引な勧誘は、苑に直接クレーム入れれば、その強引な人を注意してく
れますよ。和合がモットーのお寺さんですから。南伝の教えも摂受しているのは
日本では真如苑くらいなものですよ。総礼文、五戒文(十戒文の省略形)、三帰依文は
タイのワットパクナムから直接伝えられたパーリ語で唱えられます。
また、スリランカやネパールの寺院との交流もあります。
28:管理人緋色 :

2015/06/22 (Mon) 11:19:46

すみません、失礼を承知で結論を先に書きますが、
あなたが書かれたことは要するにあなたが苑が好き、最高だと思っているということですが、私はあなたの主張が被害者の傍に立つ、ましてやそれが利他の考え方だとは思えないのです。
いったいこの人は私にどうしろと言っているのか?
苑って素晴らしかったんですね、そう思って欲しいのだろうか?
さっぱりわからん。

これが偽らざる本音です。

確かに私は辞書を引用して新興宗教を定義しています。
これはあなたがた信徒が苑は伝統の法流を継いだ仏教団体で新興宗教では無いと主張しているので、第三者ソースで反論するためのネタの一つです。
私自身、醍醐派が近代に分派した一派だということも知っています。
他伝統系でも近代に分派した一派がいくつもあることを知っています。

では伺いますが、浅草寺は天台宗から独立しましたが、浅草寺が出来たのは何年ですか?
戦後ですか?
既に歴史があり、浅草寺という存在は認知されているわけで、天台宗の一派としても江戸期の本にも記載があります。
屁理屈を書きますが、一般的に浅草寺は新興宗教だと思われていますか?
実績があるので例え近代に独立しているのでも誰も浅草寺を新興宗教だとは思わないですよね?
飛行機の技術者が家伝の占いを元に講を運営し、醍醐派で修業した後に一派を建て、事件後に体裁が悪いからと名前を変えた一派と同列に語るのはオカシイと考えます。

すみません、仰りたいのは要するに苑はスゴイ、伊藤氏はスゴイってことですよね?
それはあなたの心の中の自由です。
好きにしてください。
正直、だから何?としか思いませんし、それ以上の感想も持ちません。
スリランカやネパールの寺院との交流も正直、だから何?他の宗教団体も同じこと書きますよね、だから?
というのが本音です。
自動車事故にあって怪我した人間に、轢いた側の車に同乗していた人間が乗っていた車が素晴らしいと怪我人に主張しているようにしか思えないのですが、、、。

強引な勧誘は禁止している。
そんなことは知っています。
ですが、それが抑止力になっているのですか?
現実に毎月何件も相談を受けていますし、勝手に入信させられた人間に「苑では禁止しています。」は通じません。
禁止したって、事務員は当人確認も意志確認もしない状態で、バレない状態ですよね?
縁の切れ目というのは、やられた側の気持ちを汲む内容とは思えませんし、”縁の切れ目なのだ。”ということを私は提示しているだけの話です。
その決断をするための情報をアンチの立場として提示しているだけの話です。
被害を受けている人間に、苑はスバラらしい、、、そんな情報が必要ですか?

教えに触れさせることが勧誘の目的とのことですが、事実として「精進が足りない。」という言葉の元、経によっては過剰な勧誘が起きているのは事実ではありませんか?
アンチが指摘しているのは現実に起きている事実に即した被害内容で、それは苑の構造や盲信する信徒によって起きていることです。
あなたが書かれているのは体面上のことだけで、事実、現実に即していないのではありませんか?

私のブログに寄せられる相談はほとんどが
・勝手に入信願いが出されていた。
・親や関係者が盲信して困る。
・辞めたらとんでもないことが起るのではないかと不安になる。
私が向いているのは、そういう方達の方向です。
苑は最高なんだ、教えを理解していないやつが苑を否定するな、という方向けではありません。
ですので経験上からも苑を私は肯定できません。

宗教団体ごとに解釈が違うのは当たりまえです。
何を開祖がこれが最高と思おうがその団体の自由です。
だからこそ、私が苑を否定することは私の自由ではありませんか?

繰り返しますが、あなたの書かれる苑は最高の教え、それで被害を受けた人間が救われるのですか?
私には真如霊界や抜苦代受だとか、接心だとか、信徒の言う利他の教えと実際の行動が伝統仏教だとも密教だとも思えないのです。
密教やら教えは何の免罪符にもなりませんよ?
私は私なりの根拠を出しているだけで、それをどう判断するかは読み手の問題です。
あなたが私に何を求めているのかさっぱり理解できませんが、少なくとも私はあなたの書かれていることは、被害者に寄り添った内容だとは思えませんが、反論等あるならどうぞご自由にここにお書きください。

本当は三行でまとまるのですが、、、
だから何?
あなたにとって苑は素晴らしいんですね。良かったですね。
それで被害者が救われるのですか?
29:よし :

2015/09/17 (Thu) 20:05:50


>>行者の子孫
井の中の蛙ちゃん。
密教だけでなく、そろそろ社会心理学のお勉強もなさったらいかが。
苑の運営には社会心理学的な手法のほうが役に立ってるんだよ。
(でも、臨床心理学的処方は使われてないの、
心のビョーキが治っちゃうと教団にずるずる依存させられないからね。)
ま、がんばってね。



30:よし@投稿後に誤字見つけた。 :

2015/09/17 (Thu) 20:09:27

臨床心理学的処方→手法
失礼。

31:緋色 :

2015/11/02 (Mon) 11:04:54

注意しても止めない人間はいるわけで、
無断入信を減らす現実的な方法があってもやらないわけで、それは苑の教えが素晴らしいだとか、新宗教、新興宗教の定義とは何の関係も無い話です。
32:よし :

2015/12/13 (Sun) 09:08:45

↓こんなことを平気でほざいてまったく、困ったものです。

>強引な勧誘がこのスレでは問題となっているようですが、苑>としても、問題のある
>強引な勧誘は戒めています。親しい中や断れない中でいつも>教えを聞かされる
> ほうもたまったものではないでしょうが、それが縁の切れ目>でも一向に良いの
>ではないでしょうか。

入信システムの不正をあえて繰り返し指摘するのもめんどくさいのでしませんが・・・。

おそらく、彼の中にある苑にすり込まれたスキーマ、苑は正しいという認知からすると受け入れがたい事柄なのでしょう。
認知的不協和のいい例ではないかと思います。

行者の末裔を名乗りながら低山できついとかほざくことを含めまあ、ダメダメですね。

図らずも、新興宗教なんぞ信じてもどうしようもないという「プルーフ」となったようです。ご苦労様です。
33:よし :

2015/12/13 (Sun) 14:46:07

まー、長文でオナニーみたいな文章を書いて、エクスタシーを味わうのも、清浄なる菩薩の境地なり。ということなのでしょうか?

34:よし :

2015/12/14 (Mon) 09:22:16

長文オナニーは、もちろん>>27の行者くんのしょぼいプルーフです。
苑人の方たちは、曲解、誤誘導がつき物ですので一応補足させていただきます。

【分かりやすい誤誘導の例】
「知恵袋 syamda4sさん向け」スレの、no9の引用
>キリスト様が産まれる前に2歳児以下の子供はみな虐殺されたそうですよ。
>それって…お祝い出来ることなんですかね?クリスマスですよ?…お祝いしていいんですかね?

これはキリスト教の背景を知らない人が読んだら、キリスト教徒がホロコーストしているように誤解しかねないと私は感じます。
また、syamda4sはホロコーストの主語を明記しないことで、誤誘導を指摘された場合「説明不足でした」と逃げ道を用意しているようにも私には思えます。
私はsyamda4sに作為と悪意があるように感じます。

長文を批判しつつ、自分もぐだぐだ連投してすみません。
35:緋色 :

2016/01/13 (Wed) 15:40:48

よしさん
返信が遅れ申し訳ありません。

結論からするとこの手の信徒の方は、長々と書いても結論は、
苑はスバラシイ。
それだけを書いているように思います。
それもこちらの問いかけに対してまっすぐな回答ではなく、向こうの都合の良い
自分の信じる理屈をこちらをみないでつらつら書いている。
そういう印象を持ちます。
某SNSで私に対して、「緋色さんは傷ついていると思ったので声をかけた。
仏様はいつだってみていてくれています(要約)。」
と書いて来た信徒がいました。
傷ついているとかカワイソウとか、どんだけ上から目線なのだ。と思います。
彼等は相手に対峙しているのではないのです、自分に自己催眠をかけているだけ
なのだと思います。
36:行者の子孫 :

2016/04/07 (Thu) 16:00:31

前段の、霊験あらたかな私の師匠は、真言宗の修験者ですが市井の人で、真如苑とは全く関係
ない人ですよ。どこに、真如苑サイコーなんて書いていますか?バカも休み休みにしてください。真言宗の
お寺に縁のない人が真言密教に繋がる縁と言うものはなかなかないもので、高野山行けば得度受戒までは
してくれますが、入山して修行するとなると、道がなかなか見いだせないものです。その中で、
私は、真如苑を踏み台にすることが出来ましたよ、と言っているだけです。乱暴な言い方ですが。

真如苑は二代目になって、なんか別の人に神輿に乗せられているというように私は感じて
います。

三代目は、伊藤家以外の方が指名されているようですが、加行を成満したという話は寡聞です。
裏でマネージメントしている人がいるようでこの頃???なんです。二代目の法話の中にも、
なんか嫌々言わされているようなニュアンスを、言わずもがなの言い訳や自嘲的な思い出し
笑いに感じられてしまうのです。

最近調べていて、真言宗十八宗内では、加行と伝法灌頂とを別々の派で行っても良いのでは
と思えるようになりました。

高野山大学のシラバスによれば、学内で開催される加行を成満し、その後に受講できる、
「一流伝授」という科目があるからです。
もっとも、真如苑での得度・受戒で加行が受けられるか否かについては、出来ないであろう
というのが私の心象です。

密教学科の学生は、ほとんど真言宗の寺の跡取りですから、
大正大学にいくか智種院大学にいくか高野山大学で修学中に加行して伝法灌頂を受けて
自分の家の寺を継ぐのですから、高野山大学の「一流伝授」で伝授されるのは高野山真言宗とは
限らないわけです。たぶん、十八宗から選択できるんでしょうね。

今年、高野山大学の通信教育課程に入りました。加行まで行けるかどうかは時間的にも金銭的にも
微妙ですが、修士課程を修了して、どこかの寺で伝法灌頂を授けられ阿闍梨になれば、高野山
真言宗から大僧都が頂けるそうです。

この場合、苑内の僧階(いまは権律師)との関係がどうなるか、実は楽しみにしているところ
です。苑を破門になるのかもしれないと言う点で、非常に楽しみです。

だれも苑はすばらしいなんて、言っていないのですが、言葉とは難しいものです。
むしろ、おばさん達の伝言ゲームと批判精神無き礼賛には、辟易しているんですけどね。

去年暮れから、上級コース参加へのレギュレーションが変わりました。
新しい人を連れてくることより、自分が繋げた人をよくケアしなさいと言うようです。
また、昔は、未信徒は苑舎には入れません、信徒になってから一緒に参座してください
でしたが、未信徒も信徒と一緒に苑舎に入れるようになりました。
まっ、当たり前のことですが、お詣りしたこともないところの信者にいきなりなれと
言われても、?という感じですよね。
だから、承諾なしに他人の入信願いを出して、既信徒として苑舎に同行するという、
おバカなことが行われ、問題を起こしていたんでしょうね。
苑側もやっと、そこに気付いたんでしょう。
いちおう、この点の矛盾は無くなりましたが、それで同意なしの入信は少しは減るものかと。
37:管理人:緋色 :

2016/04/08 (Fri) 16:50:15

いやいや、
実際にそう取れることを書かれていますよね?
よしさんも指摘されていますし、要約すれば苑はまとも、あなた個人が苑を評価する内容を書いておいてそれはないでしょう。

>前段の、霊験あらたかな私の師匠は、真言宗の修験者ですが市井の人で、真如苑とは全く関係
どこにそんなことが書かれているのですか?
「郷里山形で、金剛寺派の僧侶と出会い、爾後、交際が続いております。~(略)」
とは書かれていますが、どこに師匠と読める一文があるのですか?
あなたの御父上の相談をしにいって相談した。話を聞いた(要約)。
でどうやってあなたの師匠で、金剛寺の僧侶と御自身で書かれているのに修験者で市井の人だと読み取れと?

>ない人ですよ。どこに、真如苑サイコーなんて書いていますか?
>だれも苑はすばらしいなんて、言っていないのですが、言葉とは難しいものです。
>むしろ、おばさん達の伝言ゲームと批判精神無き礼賛には、辟易しているんですけどね。

と取れるような文章は前回の書込みでは私は確認できません。

>承諾なしに他人の入信願いを出して、既信徒として苑舎に同行するという、
>おバカなことが行われ、問題を起こしていたん
違いますよ、それは問題を正面から理解していません。
それから上級コースでも、初級コースであったとしても無断入信は現行で行われています。
信徒が同行すれば非信徒が入れるようになったのは私の記憶では一昨年頃のはずです。
問題は参拝のためと偽って入信手続をされることもそうですが、本人の同意無しに勝手に信徒に
させられ、それが露見しない苑の構造が問題なのです。




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